四国旅行〜松山から今治へ〜

amon_yu2007-09-19

  • 朝は7時に起床、ホテルのバイキングはさすが全国規模のビジネスホテルだけあって充実しておりました。嫁と中原の某ビジネスホテル批判をしたり^^;出発は9時で、10時待ち合わせ、距離としては45kmくらいだったので余裕かなぁと思って、ナビに入力すると1時間半くらいかかることに、、、北海道と違って道が狭いから時間が違うんですかね?あわてて待ち合わせしている親戚に連絡し、遅れることを話しました。相手の方は特に気にしていないようで「気をつけてね〜」という話でした。
  • 松山から196号線を利用し海岸線をドライブ。天気がとてもよく確実に真夏日になりそうな勢いです。海が綺麗ですが水平線が見えないところが北海道と違うところですかね。必ず視界には対岸の島が見えます。待ち合わせの駐車場には10時半過ぎに到着。待ち合わせの親戚は会うのはなんと30年ぶりっていうか5歳くらいの時に1ヶ月いっしょにいたということで、お互いに顔は分からないということで待ち合わせ場所を決めておりました。しかし、自分の記憶が曖昧な時期の人に会うのはなんかむずがゆかったです。
  • 無事会うことが出来、今回の旅行の最後の目的である祖父、祖母のお墓参りに行くことに。お墓は事前に調べてもらっていて、すぐ到着。おじさん(父のいとこ)が先についていて暑い中、草むしりをしていてくれました。このおじさんにもお世話になっており、ぼんやり記憶が残っています。というのも、海の近くで民宿を経営されていて、そこに預けられていたのですが、近くのプールに泳ぐ練習だと、突き落とされたことがありました。周りからは大顰蹙だったようですが、今回あったときも「あれのおかげで泳げるようになっただろ?」としれっと言われてしまいました^^;
  • お墓をきれいに洗って線香を立て、花を生けてお参りすることが出来ました。(線香に火をつけるときに、あって10分も経ってないのに叔父さんに「どんくさい」と言われたのは内緒)祖父、祖母とは幼少の記憶しかありませんが、優しくしてもらった覚えしかありません。父、母とは離婚し、父方の親戚とは疎遠になってしまいましたが愛されていたのだと思います。
  • おじさんと電話番号の交換をし(PDCのらくらくフォン!)別れました。今治市内の昔住んでいた家の前を通りました。既に家は無く、ビジネスホテルが建っていました。ただ、公園前の風景、橋の欄干、アーケード街の町並み。ところどころ記憶を呼び覚ます景色があり、とても懐かしかったです。次におばさんと合流し、お昼御飯を食べに来島海峡へ。橋のそばの大潮荘というレストランに連れて行ってもらいました。目前にはしまなみ街道が見え、瀬戸内海が一望できる素晴しいお店でした。御飯も海鮮を中心とした郷土料理(鯛のほうらく焼き)がふんだんに使われる豪勢なものでした(息子にはちゃんとお子様ランチが用意されていました。)。食後に来島海峡の展望台に登りました。日差しが厳しく汗がダラダラとしたたってきます。息子は昼寝もしていないのにハイテンションでケラケラ笑いながらみんなで登りました。展望台の天辺では、瀬戸内海の絶景。フェリーや漁船が往復していたり、島があるので潮の流れがいろいろな方向で交じり合ったり、渦ができていたり。とてものんびりして心が落ち着く風景でした。
  • 待ち合わせた場所に戻り、置いておいたデミオの鍵を開けようとしたら、、、キーレスなのに反応しない?あれ?なんとバッテリィがあがっておりました。ライトも点けっぱなしでは無かったし、鍵がかかっていたので半ドアでもありません。レンタル会社に半ギレで電話をし、説教しました。その間に親戚の方がスタンドでケーブルを借りてきてくれて、無事エンジンをかけることが出来ました。エンジンを切らないことを注意しながら来た道を松山空港方面へ戻ることに。レンタル会社では過失を認めてくれて、ガソリンは満タンにしなくても良いことだったので、暑い中ケーブル接続したことを覗けば、ラッキーだったかもしれません。
  • レンタル会社からはバスで送迎してくれて空港へ。1時間ほど余裕があったのでお土産を選んだり、屋上に出て息子と来る飛行機を眺めたりとのんびりしました。帰りの飛行機は高松間とことなりビジネスマンが大勢乗っていて、混雑してました。羽田までは後ろの席が空いていたので、息子に席を渡すことができました。松山を離れる時は少し寂しい気持ち、やはり生まれ故郷ということで感慨深いものがありましたね。羽田で乗り継ぎ、御飯は作業のように美味しくも無いカレーをおなかにいれました。千歳行きの飛行機にのるとなんと松山からの飛行機と同じで、CAさんもまったく同じ。息子は覚えてもらっていて、かなり優遇されておりました。(おもちゃを2つも多く貰ってニコニコ)
  • 千歳空港は21時過ぎ、帰宅すると23時を回っておりました。息子は途中でダウンして、そのままベットへ。目標は全て無事クリアでき、家族に故郷を見せてあげることができました。付き合ってくれて本当にありがとう。